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鹿子木宏明のDX対談花王株式会社 浦本直彦さん

日用品や消費財などのBtoC事業だけでなく、油脂誘導体や界面活性剤などBtoBのケミカル事業も展開する花王株式会社。執行役員デジタル戦略部門データインテリジェンスセンター長としてDXを推進する浦本直彦さんにお話を伺いました。

鹿子木 浦本さんは過去に人工知能学会の会長を務められるなど、長年日本のAI界をリードされてきました。どのような経緯で、DXを推進する今の役職に就かれたか教えてください。

浦本 私は大学卒業後、日本IBMの東京基礎研究所に在籍し、26〜27年にわたり、AIの研究開発に従事してきました。その後、ご縁があり、AIをはじめとしたデジタルの知識を生かし、三菱ケミカルホールディングス(現三菱ケミカルグループ)で約6年、DXの推進を担当しました。人工知能学会の会長を務めたのはその時です。そして、2023年4月に花王に入社し、今に至ります。

鹿子木 現在の職場におけるDXは、最初どのように感じられましたか。

浦本 花王はシチズン・ディベロッパー(※)の活動が盛んで、また、データベースやデータレイクに様々なデータが保管され、可視化が進んでいました。ローコード開発ツールを活用した各種ダッシュボードも充実していましたが、それが事業上の経営判断、意思決定に使われているかというと、必ずしもそうではありませんでした。
花王は、大きく分けると日用品、化粧品、ライフケアなど生活者に向けたコンシューマープロダクツ事業と、産業界に向けたケミカル事業を行っています。それぞれの事業部の中では最適化が行われており、非常にうまく回っています。しかし、社会情勢や環境、価値観などが大きく変わり、先行きが読めない時代になった今、会社全体での最適化が必要です。そこで、まずは事業部ごとにやり方が異なる、つまりサイロ化したものを統一化する。データだけでなく、知恵や経験そのものをデジタル化してそれらを利活用し、意思決定とそれに続くアクションにつながるような仕組み作りに取り組むことにしたのです。
実際に始めてみると、システムが連携しておらず、同じデータを何度も入力しなければならない、データがどこにあるか、どのようにアクセスしたらよいかがわからない、など、細々とした課題が見つかりました。

AIを活用して
社員自らが課題を解決

鹿子木 そうしたことには、AIを活用できるのでしょうか。

浦本 生成AI技術を使ってデータベースにアクセスするプログラムを自動生成したり、各種文書を作成できるようになってきました。また、社内のデータサイエンティストやデータアナリストは、データやマーケットの分析、製造分野の異常検知、需要予測などにAIを活用し、効率化を図っています。

鹿子木 専門知識がないとできなかったことがAIによってできるようになった。そうしたことがシチズン・ディベロッパーによる開発にもつながっていくのですね。

浦本 もちろん、全てがそれで解決できるわけではありませんが、メリットは大きいと思います。
弊社には自分たちでできるだけ問題を解決しよう、という社風があり、積極的にシチズン・ディベロッパーになろうと手を挙げる人が多くいます。今、デジタル戦略部門で働いているあるシニアパートナーの方は、もともと和歌山工場で工場長に就いていたのですが、定年退職後にデジタル戦略部門に所属され、今はトップシチズン・デベロッパーとして活躍しています。

鹿子木 それは素晴らしいですね。教育プログラムにも力を入れておられるのですか。

浦本 デジタル系の教育プログラムとして「DXアドベンチャープログラム」を導入しています。全員が学ぶものだけではなく、興味があるものを学習できるようになっており、ステップが上がるとバッジをもらえるようになっています。シニア社員の方のリスキリングのための学びにも有効です。課題だと感じていたことが、新しい学びによって少しずつ改善していく。そうした小さな成功体験がやる気につながりますし、またそうした年齢層の方が活躍する姿を若い人が見ると、自分にもできるかもしれない、と前向きな気持ちになってくれているようですね。

鹿子木 自主的に取り組みたくなる仕組みになっていると。シチズン・ディベロッパーの活動に参加されるのは、主に製造の方ですか?

浦本 一番多いのは、やはり製造系と研究開発です。少しずつですが、事業部の方にも広がっています。今、この仕組みを海外にどのように広げていくか、チャレンジしようとしています。昨年はアジア各国での取り組みを社内で共有しました。教える側の人数がまだまだ少ないですし、海外ではみんなで取り組むといった文化がなく、日本とは考え方なども異なることも多いため、まだこれからです。

鹿子木 日本と海外とでは環境が異なるので、一筋縄ではいかないでしょうね。
主に製造側のDXについてのお話でしたが、顧客に対しても取り組んでおられることはありますか。

デジタルの力で生活者と
直接つながる仕組みに

浦本 花王では、生活者と直接つながる双方向のデジタルプラットフォーム「My Kao」を運用しています。若者層を中心に生活者の購買行動が変わってきたことや新型コロナ感染症の流行により、生活者と直接お話をする機会が減ってしまったことが背景にあります。我々はBtoC製品が中心ですので、生活者の声を伺い、私たちが持っている経験や知見を直接お伝えすることがとても重要です。「My Kao」はもちろん花王製品の直販のプラットフォームでもあるのですが、オウンドメディアとして生活者に役立つ様々な情報を発信し、新しいマーケティングを試す場でもあります。また、サロンのような形でファンの方に集まっていただき、試作品のお試しや、商品開発に生かすアイデアをいただいたりと、このプラットフォームはDX推進にとっても非常に大きな要素となっています。

鹿子木 生活者にも、御社にも共にメリットがあるのですね。DXの推進は社内向け、お客様向けと両方のアプローチを進められているとのことですが、その先はどのようなことを目指しておられるのですか。

浦本 中期経営計画「K27」を達成するための戦略の1つが海外での認知度を上げ、収益を高めていくことです。新しい市場に商品を迅速に投入していく必要があるのですが、デジタルの力でそれを加速していきます。またシチズン・ディベロッパーを増やすこと、市民解析者の育成なども力を入れていきたいことの1 つです。

鹿子木 AIの専門家として、何か新たなAIの使い方についてのお考えはありますか?

浦本 現在の生成AIはいつでも100%正解が得られるわけではありませんが、とても優れた技術です。チャットで壁打ち相手にするだけではもったいないですよね。それだけだと、過去に起こったように、単なるブームで終わってしまいかねません。業務に埋め込んで自動化に使ったり、業務そのものを変革するために使いたいです。生成AIはある意味、誰でも使えるテクノロジーですから、使えること自体は他社との差別化にはつながりません。生成AIを使ってどのように差別化を図り、競争優位性を作り出すか。新しい価値を生み出し、業務そのものを変えていく方法を考える必要があります。

鹿子木 おっしゃるとおりです。ですが、そこが実に難しい点です。

浦本 私自身も苦戦しているのですが、DXのDの部分、デジタルツールを入れてそれなりに効果は出ているけれど、なかなか大きなXにつながっていかない。そこで同時に大きなXを仕掛けていくことも重要です。既存事業の強化と新規事業の立ち上げを両立させる経営論を「両利きの経営」といいますが、まさにDXも同じだと考えます。弊社の場合は、一人ひとりが課題を自分事化し、シチズン・ディベロッパーが小さくても改善の成功体験を重ねていく。それと並行して、全体変革のDXを進めていくという両輪で進めています。

鹿子木 AIなどを活用してボトムアップで小さな課題改善、トップダウンで大きな変革という「両利きのDX」。経営論になぞらえたDXの進め方をお聞きしました。ありがとうございました。

※IT技術者ではないが、身近な業務課題を発見し、ITツールを使って自ら業務プロセスの改善に取り組む社員

対談を終えて
アプリを開発していると、シチズン・ディベロッパーの多くが複雑な構造に苦戦したり、うまく動かないといった壁に当たることもあるでしょう。そんな時、浦本さんのようなAIの専門家がそばにいらっしゃるというのは非常に心強いものです。浦本さんの存在と、シチズン・ディベロッパーが盛んな会社の風土がいいコンビネーションだと感じました。
そしてシチズン・ディベロッパーが各自の課題を解決していく一方で、それを水平展開したり、会社全体を変えるための方向性は経営層が示していくことでトランスフォームを仕掛けていく。政治の世界でも市民活動はとても重要ですが、やはりリーダーの存在が必須です。浦本さんの“両利きの経営”という考え方に腹落ちしました。(鹿子木談)
PROFILE
花王株式会社
執行役員
デジタル戦略部門 データインテリジェンスセンター長 浦本直彦さん Naohiko Uramoto

日本IBM・東京基礎研究所にて、AIやウェブ技術、情報セキュリティなどの研究開発に従事。同社Bluemix Garage TokyoのCTOを経て、2017年、三菱ケミカルホールディングス(現三菱ケミカルグループ)へ。DXの推進を行う。2020年4月、執行役員Chief Digital Officer(CDO)就任。2022年4月より、データ&先端技術部ディレクターとして全社のデータ戦略とその実践をリード。2023 年4 月、花王株式会社に入社し、現在、デジタル戦略部門データインテリジェンスセンター長として、データ基盤の整備やデータ利活用促進を行っている。2018年〜2020年、人工知能学会会長。

横河デジタル株式会社
代表取締役 鹿子木宏明 Hiroaki Kanokogi

1996年4月にマイクロソフト入社。機械学習アプリケーションの開発等に携わる。2007年10月横河電機入社。プラントを含む製造現場へのAIの開発、適用、製品化等を手掛ける。強化学習(アルゴリズム FKDPP)の開発者のひとり。横河電機IAプロダクト&サービス事業本部インフォメーションテクノロジーセンター長を経て2022年7月より横河デジタル株式会社代表取締役社長。博士(理学)。