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鹿子木宏明のDX対談日本ペイントコーポレートソリューションズ株式会社  石野普之さん

今回、対談にお招きしたのは日本ペイントコーポレートソリューションズ株式会社の常務執行役員、日本グループCIOの石野普之さん。どのようなDXの取り組みをされているのか、お話を伺いました。

鹿子木 まずはご経歴から教えていただけますか。
石野 ソフトウェアの技術者として、大学卒業後、新卒で株式会社リコーに入社しました。以来、30数年の間に、ERPプロジェクトやグローバルITの責任者、ソフトウェアエンジニアリング会社の社長を歴任しました。9年間、アメリカに駐在したこともあります。こうしたリコーでの様々な経験が、今の私のベースになっています。日本ペイントに転職したのは2年前です。
鹿子木 技術者として、どのようなことをされていたのですか?
石野 複写機の制御ソフト技術者として採用されましたが、情報システムの仕事を希望し、そちらに配属されました。20代の頃はその制御ソフト技術者をサポートする仕組み作りなど、いろいろなものにチャレンジしましたね。
鹿子木 その後、ITを使って会社全体を変えることにシフトされたと。
石野 はい。私はまだ誰も足を踏み入れていない、真っ白な雪の上に自分の足跡をつけていくのが大好きなんです。テクノロジーがどんどん進化するITの世界はまさに白い雪だらけで、技術者として、新しいソフトを作っていくのはとても楽しいことでした。ところが、30歳くらいの時、グローバルサプライチェーンを企画するチームに入り、それまでとは全然違うビジネスの視点が見えてきたのです。
 その後、1990年代にはグループウェアのNotesを全社に展開するプロジェクトに携わりました。「全員参加のIT革命」と銘打って、Notesで全社員が自分たちの目の前の業務の改革を推進しました。我々IT部門も単なるツール導入だけでなく、ルールを決めたり、トレーニングを企画したり、プロモーションを積極的に実施しました。その結果、1990年代には紙の文書はすべて電子化され、判子もなくなりました。
 もちろん私一人の力ではありませんが、会社全体を変えていく体験はやりがいを感じました。そのあたりから私の仕事の方向性が変わっていったように思いますね。
鹿子木 その時代としては、かなり先進的な取り組みですね。海外赴任されたのはその後のことですか。
石野 そうです。実をいうと、まったく海外に行きたいとは思いませんでした。英語は大の苦手で、まったく話せなかったのです。しかも、すでに39歳になっていました。部下には常々、「どんなこともチャンスだと思え」と言っていた手前、断ることもできず……。よく引き受けたと、いまだに思います(笑)。ですが、その経験が自分のターニングポイントになったのは間違いないですね。

日本の常識は
もちろん海外では通用しない

鹿子木 文化や仕事の進め方など、日本と違うことは多々あると思いますが、とくに印象に残っていることは何ですか?
石野 日本の常識は世界の非常識ということ。これはかなり衝撃でした。どちらがいいか悪いか、ではありません。仕事においてはスピード感とコミットメントに大きな差を感じました。日本では結果が伴わなくとも、よく頑張ったからそこを評価する、といった具合にプロセスを大切にします。一方、アメリカでは結果を出さなければまったく評価されません。結果を出すためには期間が決められるので、当然スピードも求められます。加えて、議論や討論といったものが日本人は苦手です。よくあることですが、日本からアメリカまでプレゼンをしに来て、アメリカ人から意見をぶつけられると、日本人は本社で検討すると言ってその場で答えを出さずに持ち帰ってしまう。言わなくてもわかるでしょうという価値観も海外では通用しません。
鹿子木 DXにおいても、グローバルな視点で見ると日本は違うとお考えですか?
石野 世界中を見ても、100年以上続いている企業が圧倒的に多いのは日本です。伝統を継続しながら、どのように変化させていくか。経営陣に加わる人の多くは、長年その会社に従事してきた人たちです。つまり、大きな変革は難しい。
 一方欧米では、外部から経営者を連れてくるケースが多く、その経営者が牽引役となってチームを作り、アイデアを出し合ったりするため、大変革が起きます。ここが大きな違いです。日本でも、若手やいろんな業界の人たちを集めたブレーンチームを作り、アイデアを出し合ってみると面白いのかも知れませんね。
 日本の企業風土が悪い、という意味ではありません。そもそも土台が違うので無理に欧米の手法を真似ても、絵に描いた餅になり、誰もついていけないということになります。
鹿子木 日本ペイント様では、どのように取り組まれているのですか?
石野 私が入社する少し前に資本が大きく変わり、グローバル経営がより一層加速しました。日本ペイントグループはシンガポール人と日本人の共同社長体制なので、グローバル企業のように、トランスフォーメーションは常に起こっています。しかし、弊社は、どちらかと言うとIT活用では後れを取っており、デジタルといってもなかなかついてこない。そこで、ITを抜本的に見直してほしいとお声がけしていただいたのです。
鹿子木 では、「D(デジタル化)→X(トランスフォーメーション)」ではなく、「X→D」の順番だったと。

石野 そうです。実はこの順番のほうがうまくいくと思います。この技術で何ができるかより先に、まずどんな変革をしたいのかが先に来る必要があるからです。
 例えば、2000年代、日本では多くの企業がERPを導入しました。ただ当時多くの企業は自社の仕事の仕方のほうが優れていると考え、ERPを自分たちに合わせようとした結果、多くの追加開発が発生しました。ERPは元々データを活用し、経営の品質とスピードを上げるためにあるわけで、目的と手段が入れ替わってしまったのです。
鹿子木 わかりやすい例えですね。
石野 IT部門の人材というのは、もちろんテクロジーの知識に長けています。ですが、どちらかというと“守り”の人材が多く、新しいビジネスモデルを作るなど、“攻め”の考えは持ち合わせていない人が多いように思います。
鹿子木 “守り”のITと、“攻め”のIT。変革を起こすには、“攻め”の人材が欠かせないと。
石野 日本ペイントでは、あるプロジェクトチームでChatGPTの使用を推進しています。それが直接成果につながるかどうかは別として、新しいテクノロジーの可能性や限界、リスクというのは触りながら興味を持って覚えるものだからです。その中で覚醒した人たちを引っ張り上げることがデジタル人材を開発するひとつの道です。
 これもアメリカにいた時に感じたことなのですが、日本人は教えてもらうまで待っている傾向があります。もちろん企業が勉強する仕組みを作って、育てることで教養は高まります。ですが、デジタル分野で必要なのはもっと尖った人材です。自分のキャリアを思い描き、その目標に向かって様々なアイデアを考え、実践する方法を考える。そのように自主性を持った人材を開発するには、自分から学んでもらうことが大事だと考えています。
鹿子木 キャリアは自分で開発していくものだという考え方はまったく同意見です。
石野 こうした取り組みや、顧客接点を作るために始めたオンライン発注システム「GOOD JOBシステム」も、今までやっていなかったことを実現したという意味では、DXのひとつだと考えています。
 今、DXが注目されているのは技術革新のスピードがどんどん加速しているからだと思っています。つまり、今は使えていない、あるいはたいしたことがないと思われている技術でも、どこかでブレークスルーする可能性もあります。IT部門やその責任者はそうした情報を社内で共有し、経営者もIT部門に任せっぱなしにしないことが必要です。
鹿子木 DXはDから入るのではなく、Xから考える。そのお話がとても印象的でした。ありがとうございました。

PROFILE

1984年4月に株式会社リコー入社。R&Dのソフトウェア開発に従事。2000年よりアメリカの統括販社に赴任し、ITガバナンスやERPプロジェクトの責任者を歴任。2009年帰国。2012年よりグローバルITの責任者を7年間務める。その間、リコーIT株式会社代表取締役社長執行役員も兼務。2021年8月より日本ペイントホールディングス株式会社常務執行役員CIO。2022年より現職。

1996年4月にマイクロソフト入社。機械学習アプリケーションの開発等に携わる。2007年10月横河電機入社。プラントを含む製造現場へのAIの開発、適用、製品化等を手掛ける。強化学習(アルゴリズム FKDPP)の開発者のひとり。横河電機IAプロダクト&サービス事業本部インフォメーションテクノロジーセンター長を経て2022年7月より横河デジタル株式会社代表取締役社長。博士(理学)。